出会い系フェスタ開催
馬はそこそこの成績を残していたが、Sの暮らしはぎりぎりだった。
彼は貧苦にあえぐ別の調教師と一緒に馬房で寝泊まりした。
顧客はまったく見つからない。
Sを救ったのは、驚くべき偶然だった。
馬房を分け合っていた年若い調教師のNは、たまたまT・Hの親友、Jの馬を調教していた。
自分の馬を見るために厩舎に立ち寄ったJは、オライリーの才能を開花させていくSの腕前に目を留めた。
メキシコの競馬場のかたすみに、すばらしい調教師が埋もれていたのだ。
JはHに連絡をとった。
「今なら、この国で最高の調教師を雇えるぞ」と彼は親友に告げた。
ついにT・SとT・Hが、顔を合わせることになった。
ふたりの男は、ひとつの世紀の表と裏に立っていた.Sは最後の開拓者である。
一方でHはSの生きた中西部の街道を、せわしなく行き来する自動車の車輪で踏承固めようとしていた。
Hは自分の売りこみに余念がなくSは依然として近寄りがたい孤高の大平原児だった。
だがHには、思いもよらないところに逸材を見いだす生来の才能があり、さらには元騎兵隊員の視点から、ホースマンを見極めることができた。
Sをひと目見るなり、Hの頭のなかで天賦の才能が鳴らすベルの音がした。
彼はSを自分の厩舎に連れて帰り、新しい調教師に馬を紹介した。
大恐慌の真っ最中とあって、ごくたまにしか仕事は来ず、彼は一文無しになる寸前だった。
T・Hから届けられる分厚い給料袋のおかげで、T・Sは貧困を脱した。
彼は身なりに少しばかり金をかけた。
オーバーオールに太い格子縞のワークシャツ、馬糞と泥にまみれたワークブーツ、ズボンの上に着ける革製の防具チャップス、キャップは姿を消した。
彼はこざっぱりした灰色のジャケット、黒のベスト、ホイップコードのズボンにウイングティップの靴というなりで厩舎に姿を現すようになり、レースの日には地味な共和党のネクタイをしめ、さらにはキャメルのコートまで買いこんでいた。
コーディネートの仕上げはもちろん、なんの変哲もない灰色のフェドーラ帽。
頭と帽子はもはや一体化していた。
Sがこれといって外見に特徴のない男だったことを思うと、おそらく人々が認識していたのは、彼の顔ではなく、帽子だったのだろう。
2年ほど経って、厩舎がニューヨークに遠征した時、Sは帽子にとうとう寿命がきたと判断し、厩舎を出て代わりを探しにいった。
4時間後、荒々しい足取りで戻ってきた彼は、あやうくHにぶつかりそうになった。
頭には古い帽子の完壁な複製が載っていた。
彼は苦虫を噛承つぶしたような顔で、午前中いっぱい、新しい衣裳は彼に似合った。
T・Sはついに自分のいるべき場所に行き着いたのだ。
Hが購入したしつけの悪い当歳馬を連れて、一年間、単独で調教をつづけたのちに、Sはその馬をAパーク競馬場の38号厩舎に送りこみ、本格的に調教師稼業をスタートした。
Sには最初から、好奇の目が向けられた。
目覚まし時計をタオルでくるみ、牝の若駒の馬房のわらに埋め、カチカチという音に慣らすところを目撃されたこともある。
競馬場の人々が、いったいあの男の目的はなんだろうと一様に首をひねるうちに、Sは馬に馬具をつけ、時計を藁の中から引っぱり出してトラックに向かった。
馬をゲートに入れ、目覚ましのベルを鳴らし、全力で走らせる。
彼は何度も何度も同じことをくり返し、ついに馬はベルを聞くと、無条件でトラックを疾走するようになった。
ほどなく、Sを見るためだけに観客が集まるようになった。
彼のような調教師は、誰も見たことがなかった。
車を飛ばして来たH夫妻も、馬に角砂糖をやりながら彼の仕事ぶりをながめ、自分たちはいったいなんという調教師を雇ってしまったのだろう、と首をひねったに違いない。
だがそのうちにレースが始まると、Sに調教された馬はどれも勝ち馬になった。
それも生半可な勝利ではない。
トラックは完全にSに牛耳られたようであった。
どの馬もほとんどすべて大穴の配当だった。
誰もSの調教のしかたを信じていなかったからだ。
だがそのおかげで馬ル50セントの帽子を街じゅう探し歩いていたのだ、といった。
「見つからなくて、こいつを買うしかなかった」とSはぼやいた。
Hが、新しい帽子はいくらしたのかと訊いた。
Sの調教した馬は次々に勝ちつづけ、毎日のように見出しが新聞紙面を飾った。
常連の競馬ファンたちは、じきにウィナーズサークルを″Hの所有地″と呼ぶようになった。
それほど38号厩舎の勝ち数は、他厩舎を圧倒していたのだ。
HとSはおたがいを理解した。
HはSのことを″T″と呼び、Sはボスのことをいつも″ミスター・H″と呼んだ。
H夫妻は毎朝のように厩舎を訪れ、時には14時間ぶつつづけで腰を据えた。
HはIという名の馬格の大きな馬にまたがり、Sとともにトラックを回った。
だが彼は立場をわきまえ、Sの仕事ぶりに口を出すような真似はしなかった。
第一線でバリバリ仕事をする彼のような経営者にとって、口や手を出したいという欲求は並々ならぬものだったに違いない。
だがHには、いかにSのやり方が風変わりに見えようとも、それには深い考えがあってのことなのだと理解できるだけの賢明さがあった。
「ミスター・Hがわしに金を払うのは、結果が欲しいからだ」とSは語っている。
「よけいな質問はしない」お返しにSは、HのスポットL好きの性格、厩舎にぞろぞろ友人や記者たちを引き連れてくることの煩わしさ、あるいはつねにものごとの中心にいなければ気がすまないことなどを厭わなかった。
ある程度までは.Hの友人が馬に近づきすぎるようなことがあると、主であるHの儲けは、なおのこと莫大なものになった。
目覚まし時計でトレーニングされた牝馬などオッズは70倍だったが、砂煙を上げてゲートを飛び出し、シーズン最大の当歳馬レースに勝利した。
配当は2ドルにつき43ドル60セント。
その時のレース開催期間中の記録であるミスは遠慮なく下がれといった。
ふたりの関係が完全に円滑だったわけではない。
だが、それはそれでうまく行っていた。
Hは負欲に勝ちを求めつづけた。
春も終わろうとしていたころ、彼は厩舎の馬を地方の競馬に出すことにした。
馬がミシガンのデトロイト・フェアグラウンズというマイナーリーグ級の競馬場に送られ、Sは単身、特命を受けて、さらに東に派遣された。
2歳馬軍団を強化するために、Hは成熟した馬を何頭か欲しがっていたのだ。
大リーグ級の馬主でもうらやむような資金力を有するHは、それを使って実績のある厩舎を丸ごと買い取ることもできた。
だがHは安直なやりかたを嫌った。
彼が求めていたのは、東部競馬界の大立者たちがその才能を見損なっている、掘り出し物の馬だった。
自分のもとに、それを見きわめる力のある調教師がいることを彼はわかっていた。
1936年6月、Sはマサチューセッツに着いた。
そして厩舎をしらふつぶしに回り、何百頭もの安く売り出されている馬を見たが、求める駿馬は見つからなかった。
しかし6月29日のうだるような午後、ボストンのサフォークダウンズ競馬場で、Sは逆に馬に見つけ出されたのだった。
若駒は彼をあざ笑っているように見えた。
Sは馬場のラチそばに立ち、スターティングゲートに向かって走る低ランクの馬の位置取りや仕種をチェックしていた。
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